ここではスピリチュアル的に見た欲がない・無くなるのは幸せなことなのかなどについてのコラムです。

ちなみにあまりスピリチュアル的ではない部分も多いですが(笑)、欲についていろいろ書いています。

突然ですがあなたには何か欲がありますか?

もしくは、欲がなくなったりして悩んだりしていませんか?

サトリ世代の方は欲がない世代と言えますが、そういう世代だと欲を感じてはいけない!という思考があるかもしれません。

私はスピリチュアルにはまった時、「欲をもたなければいけない」とか、「欲はない方がいい」など両極の情報に振り回されてきました笑

欲にはいい意味と微妙な意味がありますよね。

私が経験したことなんですが、無気力になると超無欲になったときもありました。

また断捨離をすることで物欲がそぎ落とされたり、シンプルに生きるミニマリストになると物欲への欲がなくなるなど様々です。

断食をすると食欲がなくなったり、食べすぎたりすると食べ物を大切にしてないなと気づき食欲もなくなったりします。

それで結局、スピリチュアル的にみると欲があるのはいいのか、悪いのかって話ですよね。

この記事の目次

スピリチュアル的に見れば欲があるのも無いのも・・・

私的スピリチュアル観点からよくを見ると、欲があるのも無いのも「別にどっちでもいい」という結論にたどり着きました。

ある程度あった方がいい気もするし、なくてもいいし・・・

どっちやね~んってことで決まらないので、もう別に決まりなんかないからどっていでもいいやみたいな。

ある意味惰性的にも捉えられるかもしれません笑

これはあくまでも私の話であって、別に欲があった方がいいとか、ない方がいいとか言っている人を非難したり、軽蔑しているとかそういう話ではありません。

ただ単にこの世の中には、良いといわれる欲と悪いといわれる欲を判断するってものがあるっていう話なわけです。

良いも悪いも判断するのは自分自身です。

スピリチュアル的に1つに、欲がない方が幸せという考え方もあります。

欲がない方が幸せって、幸せならそれでいいんじゃない・・・?と冷静になれば思えます。

でもスピリチュアルっていうと、無気力状態だとなぜか大きな言葉に聞こえちゃうんですよね。

じつはこれ大きな落とし穴があって、欲がある自分はダメなんだと追い詰めてしまったりするんですよね。

はい、私でした笑

そもそもスピリチュアル的にいうなら、欲がないのが幸せはある意味「悟り」に近いレベルだと思っています。

欲がない=今何もなくても幸せ

レベルなわけですね。

普通にご飯を食べて、まあ別に嫌いでもない仕事をして、まあ家庭があってという理想でなくても、ただ生きていられるだけで幸せ的な感覚。

これは無欲といえども、幸せですよね。

もう宗教の高い高僧レベルなわけですよ。

それに達せているあなたはハッピー‼︎で終わりです。

けれど冒頭で書いた断食とかすると「いかに食べ過ぎてた」と気づいたり、断捨離とかすると「自分がいかに物にかこまれてた」とか気づくわけですよ。

するとふと、こんなに食べる必要あるのかな?とか、物必要なのかな・・・?という風に悟っちゃうわけですよ。

そうすると欲って無くなるんだなと思います。

欲って何かを追っかけているっていうイメージもあるんですよね。

例えば幸せなのに、なんか物足りなくてほしくなっちゃうとか・・・

ま~贅沢!、だがいい。

例えば家族が順風満帆なのに、何か物足りなくて、ほしくて不倫しちゃうとか・・・

ま~贅沢、漫画みたい!

よくビジネス関連の物を見ると「欲が無くなるとおかしい」的な話をされたり、書籍などで書かれていたりします。

たま~に熱血系自己啓発系でも書いてありそうですよね。

欲は原動力!

欲こそあるから人間が生きてこれる!

だから欲がない奴はおかしい!

みたいな。

松岡〇造さんみたいな熱血タイプに多いケースです。

こういう方は欲こそが自分の原動力、例えば馬の前にニンジンを垂らして爆走する感覚ですね。

他にも例えるなら、欲が燃料なんですよね。

ビジネスはある意味「競争」と捉える方も大半なので、やはり欲は原動力になるんだと思います。

こういったビジネスでバリバリ活躍したい、上を目指したいという欲は必要なのかもしれません。

でも欲が無くなっていたり悩んでいる人がに、こういうビジネス的な欲を言うと苦しんでしまうわけです。

それとそんな熱血でもないのに、欲が必要とかいわれても・・・ね~みたいな。

それでも本にそう書いてあるから、真に受けて、真面目なので(笑)、無理やりやるわけですよ。

ええ、私でした笑

競争は優劣の欲にもなるので、最終的にその欲が手に入っても「もっと、もっと」となってしまうんですよね。

スピリチュアル的にいえば、自分の奥底の思いが現実を移すとされています。

欲がないことで苦しむならば、苦しみが生じちゃうってわけですよ。

もっともっとという欲は、不足に目を向けているので不足感ばかり目に入ってしまうので、いつまでたっても欲を追い続ける人生にもなっちゃうわけです。

これはお金とかでよくあるんですけどね・・・

どうしても人は不足感があると、欲がでてきちゃうものだったりします。

ピュアな欲なら、人生はうまくいくんですよ。

ピュアな欲っていわれてもね~みたいなね。

なかなかその判断が難しいものです。

その判断的にはその欲がなくても、別にいい?幸せ?って時に「YES」といえればよい欲なんです。

逆に「NOOOO」、「それがなければだめなんだ!!絶対ダメなんだ」とか不安・怖いみたいなものが出てくるならば、それは不足感を補うための欲になってしまうかもしれません。

ビジネスでは競争も大切ですけど、自分で楽しければ勝手に結果がでるので競争も勝手にやってればって話になるんですけどね・・・

競争で負けても別にいいや~ぷ~~んみたいな。

切羽詰まっていている人にいったら、叩かれそうですけどね・・・。

例えば運動会で1位になりたいけれど、別に1位にならなくてもいいや的な感じです。

でも貪欲タイプだと、絶対1位取らなきゃ死ぬ!!!的な感じなんですよ。

原動力のものを少しずれてしまうと、最終的には破滅の人生もまっているわけです。

運動会の1位に例えるならば、絶対1位取らなきゃ死ぬ!という感情の中には不安、焦り、不足などうじゃうじゃとネガティブなエネルギーが渦まいているわけです。

ちょっと怖いですよね。

でも誰しもがこういう経験はあったかも。

でもこういう状態だと、不安や焦りとかの状態から無理やり成功を経験したり、もし何か手に入っても、満足してない場合が多いですよね。

もっともっと~くれくれ房になっちゃうわけです。

こういうのはもう、不足感からの欲の可能性も1つの考え方としてあったりします。

子供のくせが大人になって結構でちゃうんですよね。

ええ、私の経験談ですけどね。

だからスピリチュアルで欲がない方が幸せとか、ビジネスとかで欲があった方がいいってのはいったん無視してもいいって話なんです。

ピュアな欲は思う存分持った方がいいけれど、貪欲だったり不足の欲はちょっと控えた方がいいのかも~と私は思うわけですよ。

欲はたくさんあるからその一部かもしれない

欲はなんだかすべての枠組みのように思われていますよね。

欲がないとだめだ!といっても、何の欲よ?みたいな。

欲を細分化してみると、そもそも欲って色々ありませんか?

だから欲が全くないってことはあまり無いとは思うんですよね。

例えば前のところで書いた、出世欲とか金銭欲とか。

貪欲もまさに「欲」という言葉がついていますよね。

他にもあるのが、

・物欲
・食欲
・性欲

なんてものもありますよね。

他にも

・支配欲

なんてものもあります。

もう欲求、求めるものすべて欲ですよねーって話なわけです。

また心理学者マズローさんの人間の自己実現欲求(5段階の欲求)なんていう基本欲求があって、必ず人間には備えられている欲求です。

・自己実現の欲求
・承認(尊重)の欲求
・社会的欲求 、 愛の欲求
・安全の欲求
・生理的欲求

というものがあります。

実際はこの5段階がピラミッド状でなっていますが、詳しく知りたい場合は検索してください。

ここでは生理的欲求を書くんですが、生理的欲求は食事・睡眠・排泄なわけですよ。

だからトイレ行きたい!っていうのも無意識的には欲求なわけですね。

ちなみに私は食欲や睡眠欲はとてもあるので、生理的欲求はとても強いです。

もし無気力で無欲で死にたいうんぬんしている人も、この生理的欲求ぐらいは多少はあるんじゃないですかね?

呼吸も欲の1つらしいですよ。

トイレに行きたくない・・・もう漏らしちゃおうなんてのはなかなか思わないはず笑

だからじつは誰にでも欲があるので、欲がないってことはおそらくないんですよ。

生きる上ではもう欲の塊だから、欲は誰にでもあるんですね~。

本で書いてある欲は高い欲かも

書籍やお話である欲は、正直高い欲なんだと思います。

マズローさんで例えるなら、社会的欲求 、 愛の欲求、承認欲求とか自己実現欲求的な部分をいっていることが多いと思います。

もう上の欲の枠組みである通り、人間生きてればそれがすべて「欲」なわけですよ。

呼吸とか欲とか意味わかんね~って思いますが、私もよくわかりません(笑)

ただ地球からみるとそう感じますが、宇宙は空気ないですよね。

そう思うと、呼吸で空気を吸うことはある意味すごいことなのかもしれません。

生きるためには空気である酸素が必要なので、それは欲になるのかもしれませんよ。

少年ジャンプで鬼滅の刃という作品がありますが、あの作品では主人公などのキャラクターが「なんたらの呼吸」という呼吸系の技?を出して、敵と思われるキャラと戦うときに呼吸を使います。

なんたらの呼吸をするにも、敵といわれるものに勝ちたい、強くなりたいっていう欲があって、さらに特殊な謎の呼吸を欲するという欲になるわけですよ。

最終的な結論ですが、欲を持った方がいいとか、持たない方がいいとか、欲を持たない方が幸せとか「どうでもいい」レベルになるわけですよ。

だって私たち生きている、存在していることが欲ですから・・・

でもそれが悪い欲になったら、生きてるだけが罪悪感の塊になってしまいます。

欲を持たない方がいい、はい、じゃあ呼吸しませんっていったらある意味難しことですし、もしできても死にますよね。

だから欲がある・ないが良いとか、悪いとかそんなもん「ない」んだと私は思います。

それに食欲はあっても、睡眠欲はあるなどみんな欲は千差万別。

別にそれでいいんじゃないの?って思います。

結局私たちが良し悪しで決めてしまうから、ややこしくなるわけですよ。

と、私は欲という言葉に振り回されて思います。

卒業論文とかで欲とか書いたら面白そうでしたね。

結局自分が周りの影響を受けて、ややこしくしてるわけですよ。

欲が必要な人は持てばいいし、いらね~欲なんてなくても幸せなんです。

しつこく何度も書くんですが、どっちでもいいんです。

一度欲をたくさん持ってみたり、欲をなくしてみて感じるものなのである意味悟っちゃってるのかもしれません。

とにかく欲は1つの枠組みでは計り知れないほど莫大にあって、ごく何個かのものを欲と呼んでしまっているからわけわけめになるわけです。

なんか全く答えになってないですが、欲があっても悪いことでもないですし、欲があって微妙なことがあれば少し方向転換すればいいだけです。

欲がない場合は無気力・やる気0の場合も

欲がない私なんてダメなんだ!と追い詰めている場合は、無気力になっている場合もあると思います。

またスピリチュアル的にはエネルギー不足も考えられます。

私が無気力になったとき、冒頭で書いたのですがすべてが無欲に感じました。

(呼吸してんじゃんと思われますが、この時は欲について全く知らないので笑)

ただ実際に欲を広い目でみると全く無欲ではないんですが(死にたいとかも欲ですし、すべてを忘れて寝たいとかも欲なんですが)、無気力だとこの世の終わり的に感じるんですよね。

そういう場合は「心が疲弊」している可能性があります。

心が疲れていると、やる気!元気!となるエネルギーも湧かないんですよね。

聞く耳ももたなくなり、世界は回っているのに自分が生きている存在がよくわからなくなってくる状態。

心が疲れていてエネルギーが無くなってきているのに、無理打って物事をやったりしていると、心は空っぽになってしまいます。

ネガティブなニュース、自分の正義を押し付けあうSNS、不安や恐怖をあおる話、そんなことばっか聞いているだけでもエネルギーは無くなってしまいます。

心がやられちゃいます。

こういう場合は「欲なんてもたなくても大丈夫」といいたいんですが、こういう無気力の状態ってやりたくないことを無理にやり過ぎてしまっていることなんですよね。

気をつけて欲しいのが無理しすぎて無気力状態までになると、下手すると精神的な病気になったり、鬱になったりと病んだりします。

最終的に死にたくなっちゃうんですよね。

私の場合はやりたくないことやりすぎて、パワハラにあいまくって、人生わからなくなって最終的に病みました苦笑

この状態は無気力で、死にたいばっか思ってました。

どう死ねるかなとかも思ったり。

でも親には心配したくない~、これからどうしよううんこうんこ。

みたいな。

便秘にもなるし笑

下痢にもなるし笑

そういうことが何度もあって、ビジネス本や自己啓発本とか読むと「欲は必要」とかわけわからんこと書いてあったりして。

この時私は、ただ単に「やめていいよ」と自分に言えなかったわけですよ。

言ってほしかったけど、そういう人間じゃないからうんぬんこじらせたわけです。

ある意味「自分無気力やばい」って思ったら、いろいろやめてみることをお勧めします。

そして今自分が「無気力なんだ」「やるきないんだ」と認めてあげて、抱えていたネガティブな感情をどばーっと吐き出す(紙に書いたり、ぶつぶつ言ったりするのがおすすめです)ことが必要だと思いますし、私はそれをしてだいぶ軽くなりました。

欲があるとかうんぬん関係ないんです。

無気力でもそんなに深刻じゃないよ!って方の場合でも、無気力状態は頑張りすぎてやる気がなくなっている場合もあります。

もし好きなことで頑張り過ぎて放心状態になって無気力になっても、また元気になって活動的になるわけです。

欲とかそういうものとか、他人とか気にしない方が絶対いいですよ!

とにかく

・休もう!

・だらだらしよう!

・さぼろう!

・食事とれたらしよう!

・うんこしよう!

みたいな。

無気力状態で「がんばって」とか言われると、余計自分の首を絞められる気分になって「自分って駄目なんだ~」って思っちゃうわけです。

まさに空回り。

がんばってだ?は?人の気持ちも知らないで???うるせ~~~~~~~!!!!!って言ってもいいと思いますよ。

心の中や紙の上で笑

下手に私のことを思ってくれているんだから、こんな感情もっちゃだめ・・・みたな物は疲れている場合はいらないと思います。感情に蓋をしなくていいですよ。

直接言うと面倒ごとになって、争いがおきるのでおすすめはできません。

ありがとう(気持ちスルー)、うるせ~~~~~~~~~って感じ。

無気力の時はある意味自己啓発とか、自分を鼓舞させるようなものは読まない方がいいかもしれません。

スピリチュアルのことを書いているサイトですが、スピリチュアル本とかも無気力すぎている場はあまり読むのはおすすめしません笑

特にキラキラフワフワ、好きなことして~楽しいことをするといいです!みたいな。

まあそうなんですけど、病んでいるときに好きなことみつけられないから困ってんだろ?みたいな笑

どんどん口が悪くなってしまいますし、欲の話から離れてしますね。

スピリチュアルとか自己啓発って申し訳ないけれど、当たり前のことしか書いてない・はずれみたいなものがあります。

教科書に載っているような、キレイ子ちゃんみたいな本も今だに多いです。

いや、それでも全然いい悪いとかはないんですけどね。

読むならば心理学とか、脳科学の本とか動画を見てみるといいかもしれません。

こう感情があまり入らず、客観視できるような本ですね。

脳科学でいうならば最近では中野信子先生などはわかりやすいです。

努力不要論はスピリチュアル的でも言われていますが、やはり脳科学者なので論理的にまとめられています。

スピリチュアル的にいわれているものが、脳科学だとこうなっているのかも~と思えたりします。

※中野信子先生はスピリチュアル発言はしてませんよ!

余談ですが私の場合は無気力で、なおかついつもイライラしていました。

そういう時は加藤諦三先生の早稲田大学の教授の本を読んだら客観視できてわかりやすく、少し人生が前向きになれたりしました。

加藤諦三先生は個人的には古い本がよかったです。

図書館とか古本屋であるので、気になる場合はパラパラ~っと立ち読みしてみるのもいいかもしれません。

本を読む気力なんてないよー!!って場合は、YOUTUBEなどでも中野信子先生難度の音声が聞けるので聞いてみるといいかもです。

無気力とかで検索しても、いろいろな動画がでてきて聞きまくれば何かしら参考になるかもしれませんよ!

欲の話どこいった!

欲があってもなくても変なことではない

欲があろうがなかろうが、あなた自身がどう思うかです。

私はある意味「欲はあるのは当たり前」レベルで思ってます。

といっても私の場合は面倒くさがり屋なので物事にはやる気ないんですが、「あれが食べたいなー」という食欲などはあります。

あと睡眠は大好きです。

これを欲と思う人もいればいるし、欲ではないといえば欲ではいなですよ。

ただぼーっとしているだけで幸せっって人も、欲がないな~っていわれるかもしれません。

無気力で何もやる気ないって人も多少は欲があるけれど、欲がないって思っちゃってるだけなのかもしれません。

大きな物事を欲と捉えていることが多いですが、呼吸のような無意識的なものだって欲なんですよ。

もう欲というよりも、私的にはスピリチュアル的な考えを持つ人間なので、究極は「今幸せかどうか」なわけです。

欲がいい、悪いという意見はたくさんありますし、良い悪いもないです。

もしかして「欲」にこだわることが気になるのであれば、ただ単に情報に振り回されて混乱していたり、自分は失敗したくないとか思っているのかもしれません。

自己啓発本でも書いてあるんですけど、ある意味「行動」しないとその人にとって欲がいいか悪いかなんてわからないんですよ。

欲を追っかけすぎてダメになったり、欲がったあったから実現できた。

この世は2極の考えがあって、良いもあれば悪いもあるわけです。

無欲が幸せではないともいえないですし、無欲が幸せともかぎらないってわけです。

結局最終的に、どうでもいいことを私たちは考えちゃっている可能性もあるんですね。

「もうどっちでもいいじゃん」っていう結論にたどり着けたとき、欲がうんぬんから解放されるかもしれません。

欲があることで幸せか、幸せでないかは人それぞれ違います。

ある意味自分で実験してみて、その判断を決めてみるのも楽しいかもしれません。

思い出せばそいう経験をしているかもしれませんよ。

なんだか、何を書いているんだかわけわからなくなりました。

ここまで読んでくださった方がいれば、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

「いったい何が言いたいんだ!?」と思われるかもしれませんが、私も正直わかってないです笑

これだけ言えるのは、こういう意見をする人もいるっていうことです。

欲についてあまり深く考えたことなかったので、良いきっかけになりました。

最後に(やっと)締めになるんですが、スピリチュアル的は信じたいものがあなたの真実です。

私の意見がクソでうんこだなと思えばそれでいいですし、ふ~んと思えばそれでいいです。

本や啓発本もそうです。

あくまでも著者やブログを書いている私が「こう思ってます」って書いてるわけで、こうしてくださいとは書いていないんですね。

人の考えに正解も不正解もないんですよね~~

最初は私もこれを聞いたとき、意味不明でしたけど今ではわかるレベルになったのでかっこよく書いています(かっこよくないけど笑)

これからは人の意見とかも「意見」としてとらえられれば、人生は少し楽になるかもしれませんよ。

締めるとか書きながら全く締めていませんが、本当にこれで終わりです!

ありがとうございました!