道を歩いていたりお店に行ったりすると、たまに忘れ物だったり落し物を見つけたりしませんか?
私は忘れ物的な落し物はよく見つける方だったりします。
落し物としてお金も拾ったりもします(届けますが)
スピリチュアル的見ると、1つの説に落し物は拾わない方がよいとされています。
そのスピリチュアル的な理由としては、人のエネルギーや厄的なものの意味が関係しているからです。
そもそも物には人の念(エネルギー)や厄が入っていて、それが拾った人に移りやすいから落し物のようなものを触らない方がよいという考え方もあるそうです。
それで運気が落ちるからなのだそうです。
そういわれても、私的には拾わないのもちょっとな~という感じには思います。
ちなみに私はスピリチュアルは好きですが、現実世界に生きている人間なので落し物は拾い警察やそのお店とかに届けます。
スピリチュアル的なものかはあいまいですが、落し物を拾うことにはメリット的な意味もあります。
ここでは落し物を拾うスピリチュアル的な意味を調べたことや、思ったことについて書いてみました。
この記事の目次
スピリチュアル的な落し物を拾うことの意味
落し物を拾う意味①意識が敏感になっている
落し物が落ちていても、気づく人よりも気づかない人の方が多いかもしれません。
そのためスピリチュアル的に落し物や落ちている物に気づくということは、それだけ意識が敏感になっている可能性が高いとされています。
意識が敏感になっていると、スピリチュアル的は情報などがキャッチしやすくなっている状態ともいえます。
例えば引き寄せの法則などである「シンクロニシティ(略してシンクロ)」などがありますが、あれは敏感になってないとキャッチすることができません。
シンクロに従えばうまく物事や人生がうまく流れるのですが、それに気付ける人は意識が敏感でなければなかなかいません。
結局シンクロがいろいろ訪れているのに、気づけてなくてもったいない状態になっているわけです。
いろいろ落し物を見つけることが多い場合は、情報などにも意識をすれば敏感キャッチすることができるかもしれませんよ。
次からは、落し物を拾った場合に届けた意味合いとなります。
落し物を拾う意味②人助けで運気が上がる
スピリチュアル的にエネルギーがどうこうで運気が下がるという意味もありますが、逆に運気があがる意味もあります。
そもそも落し物は落とした人は困っている人が多いですよね。
大半はショックを受けたり、必死に探したりしていると思います。
落し物を拾うと警察などに届ける方が多いと思いますが、落とし主は無くしたものが届けられるととても喜ぶと思います。
落し物を拾って交番などに届ける行為は人助けになります。
そしてこれらは損得ない行動だったりしますよね。
そもそも落し物なんて放っておけばいいし、交番など届けるのは無駄足になるわけです。
お金を拾って一部もらえるからうんぬんなどそういったものは損得になってしまうのですが、そういうもの以外はただ届けるだけですよね。
落とし主が見つかったら連絡しますか?と聞かれますが、大概面倒くさいのでいいですってなると思います。
人のためになる損得のない行動は、なんだか気分がよくなったりしませんか?
落し物を届けると、損得関係なしに「なんだか自分がいいことをしたな~」なんて心が少しホカホカするかもしれません。
人は喜ぶ行為の1つとして、相手を助けたりよいことをしたりすることがあるとされています。
心が満たされていって、満足感になる方も多いと思います。
スピリチュアル的なこういう状態は、波動が上がり高い状態とされています。
波動は心の奥の感情などが反映されるとされています。
波動が上がるとそれに見合ったものが返ってくるので、自分にも満たされたような、幸せなことが起きやすくなるというわけです。
そのため、結果的に運気があがりやすくなるとされています。
落し物を拾う意味③徳を積める
よく良いことをすると徳を積んだなんていわれますよね、
徳を積むというのは、人の損得関係なく良いことをすることです。
落し物以外にも徳を積む行為としては、
・ごみを拾う
・困っている人を助ける
などもありますよね。
これをスピリチュアル的に宇宙からみると、どう思うでしょうか?
人が見てないけれど、落し物を拾ったり、人を助けたりしている人がいれば味方にしたいなと思いませんか?
私がもし宇宙ならば、味方をしたくなります。
いいやつだな~助けちゃおう~みたいな。
上記の部分と重なりますが、徳を積む=よいことをするということは心が満たされることになります。
心が満たされればそれが現実に反映され、そして高い視点からみると宇宙が味方もしてくれるということにもつながります。
ちなみに少し勘違いがあるかもしれませんが、徳を積むというのは自己犠牲は当てはまりません。
スピリチュアル的には心の奥の物が反映するので、「自分を犠牲にしてやる」というのであればそれが自分にも帰ってきます。
例えばよくありがちなのですが、自分が苦しくても人が喜ぶのならやるみたいな感じですね。
これは残念ながら自己犠牲になるので、宇宙は味方してくれません。
そもそも自己犠牲してまで、相手はやってほしいかって話ですよね。
自分のことをおろそかにしているのに、人のことを中心にしないでねって話なわけです。
落し物を拾うこととあまり関係のない話ですが、なんとなく書いておきたかったので書いてみました。
ちなみに自分が調子悪かったり忙しいのに落し物拾って届けなければ・・・!と思うならば、そのままスルーしてもいいと思います。(反感を食いそうですが笑)
いくら徳が積めるといっても自分を犠牲にしてやることでもないですし、誰かが拾ってくれるので・・・
自分ができることをしてみるとよいと思いますよ。
小銭を拾うことはお金が増える
落し物の中には1円や5円といった小銭を拾う方もいらっしゃると思います。
まれに1円とか落ちていますよね。
ただ小銭などこういう落し物は拾わない方も多いと思います。
こういった少ない金額なら交番に届ける必要はないとは思いますが、じつはこの小銭の落し物は拾った方がよいといわれているんです。
ご存じの方も多いと思いますが、1993年から納税額12年ベスト10に入っている日本一の実業家の斎藤ひとりさんは落ちている小銭を拾うことは金運がよくなると話されています。
お金の本もたくさん出されています。
時々重複する部分もあるので、1冊ぐらいは読んでおいても損はないですよ。
とてもお金を稼いでいらっしゃる方なので、お金の思考など参考になります。
話は少しそれましたが、斎藤一人さん曰くお金は1円たりとも無駄ではないということ、そして小銭を粗末にしない人はお金に好かれる。
そしてお金を助けると親が挨拶にくるという話をされています。
どういうことかというと、
5円玉の親は10円玉
10円玉の親は50円玉
50円玉の親は100円玉
100円玉の親は500円玉
500円玉の親は1000円札
1000円札の親は5,000円札
5,000円札の親は1万円札
というように話しています。
最後には最高の値となる万札さんがお礼に来るという考え方です。
もしあなたに子供がいて(子供がいる方はご自身の子供で想像してみてください)、子供が迷子になって必死に探しているとき、迷子センターなどに届けてくれた方にはとてもありがたく思いませんか?
親の立場になったら、子供を助けてくれたらうれしいはず。
これは人だけでなく小銭なども一緒で、1円を助けてくれたらうれしいということになるわけです。
小銭を拾うことは子供を助けることになるので、のちのちにはお金に好かれる体質になれるということになります。
それはたとえ1円玉がアスファルトに埋まっていたものとしても。
お金に好かれる体質の方は埋まっている1円を掘り出したり、道路でぐしゃっとなっている1円も助けるみたいですよ。
お金は本来は大切で、お金がないと困ってしまいます。
スピリチュアル的にはたかが紙という方も多いですが、やはりお金があることには越したことはありませんよね。
お金があればいろいろな物が買えますし、体験もできる。
感謝感謝。
それだけ1円たりともありがたいもの。
小銭を馬鹿にしてはいけないということです。
日頃から小銭に限らず大切にしている心を持っていれば、あなたに優しくしてくれる人も増えるというわけなので、結局は周り回ってくると私は思っています。
逆に日頃から何かを小銭などをあしらったり馬鹿にしていれば、自分自身も馬鹿にされたりするわけです。
結局お金というよりも、心の奥の意識も関係していると私は思っています。
大きいお金は交番に届けなければいけませんが、小銭を拾ったら大きい額でなければ拾ってきれいにしてあげて、募金箱などに入れたりしてみるといいですね。
落し物を拾うスピリチュアル的な意味【まとめ】
落し物のスピリチュアル的な意味は物事に敏感になっていたり、徳を積めて運気が上がるなどがありました。
意識が敏感になっている場合もあるので、落し物を見つけた後は日常生活をよーく観察して生活しているとシンクロとかに気が付くかもしれません。
シンクロをキャッチすることができれば、人生川の流れのようにうまくいくので落し物を見つけなくても意識してみるといいかもしれませんね。